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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)9450号 判決 1971年4月14日

原告 ベルナルド・ディエンズ・ゴンザレス

右訴訟代理人弁護士 丸山武

同 中村治嵩

被告 渡部純一

右訴訟代理人弁護士 別府祐六

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告

「1、被告は、原告に対し、四〇〇万円およびこれに対する昭和四三年六月一日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。2、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

主文同旨の判決。

第二当事者双方の主張

一  請求の原因

(一)  第一次的請求原因

原告は、当初請求の原因として、

a「1、原告は、昭和四一年七月三一日、被告が代表取締役をしている日本ヴイカンベル、エスパニア株式会社(以下訴外会社という。)に賃金として月額二〇万円と住宅手当五万円合計二五万円を毎月支払う旨の約で雇傭され、昭和四三年五月三〇日まで、同社が経営するレストラン、ラスクエバスのいわゆる「シェフ」として勤務した。

2(1) 右訴外会社は、原告に対し、右約定賃金等の支払いを滞りがちであったところ、昭和四三年三月二二日、原告と、訴外会社の代表取締役である被告は、昭和四二年二月分から昭和四三年二月分までの未払賃金等三二五万円を昭和四三年三月二五日に支払う旨の準消費貸借契約を締結した。

(2) しかるに、訴外会社は、右支払期日が到来したのに右の債務を履行せず、さらに昭和四二年三月分、四月分、五月分の賃金および住宅手当合計七五万円を支払わない。

そして、そのまま昭和四三年五月末日に倒産し、レストラン・ラスクエバスを閉鎖した。

3 原告は、右のように、形式的には訴外会社と雇傭契約および準消費貸借契約を締結したことになるのであるが、実質的にみれば同社は被告の個人企業であるから、原告は右訴外会社の法人格を否認し、同社が原告に負担する債務について被告がその責に任じなければならないと主張する。

被告は、友人の土方、岡本、箭中の四名で訴外会社を設立したものであるが、被告以外の者は他社に勤務しながら片手間に訴外会社の取締役となっていたのに対し、被告は訴外会社の設立以来代表取締役として訴外会社の経営にあたり、訴外会社の経営については被告が独断で一切を処理していたものである。また、訴外会社が株式会社として独自の法人格を有すると主張するためには、当然に商法の要求するところを遵守しなければならないと考えるが、訴外会社は株主総会を開いたことがなく、取締役会も開いたかどうか疑わしい。もちろん、株主総会議事録、取締役会議事録、財産目録、貸借対照表等は作成されていない。経理についても、複式簿記に基づかないで、現金出納帳の記帳によっており、会社の金銭と被告個人の金銭の混同は避けられないところである。

さらに、訴外会社が実質上被告の個人企業であることを示すものとして、次のような事情もある。すなわち、原告をレストラン・ラスクエバスの「シェフ」として雇傭するに際し、被告が雇傭契約条項の一切を決め、原告と雇傭契約を締結したこと、右契約には被告の妻渡部リディアが立会人として立会ったこと、昭和四三年三月二二日原告の未払賃金等三二五万円の債権を目的として公正証書により準消費貸借契約を締結した際にも、被告が一切を決定しその手続を行なったこと、被告の妻渡部リディアが監査役兼レストラン・ラスクエバスの支配人として毎日ラスクエバスに勤務し、その日の売上金を持って帰った等の事実がある。

ところで、法人格否認の法理は、法人格に関する一般原則がそのまま妥当する場合にもたらされる不当な結果を回避し、個別具体的な事案における正義を達成するため、具体的な特定の事案につき会社というヴェールを剥奪して背後にある実体をとらえようとするものである。

そうであるとすれば、本件の場合、訴外会社の法人格を否認し、同社が原告に対して負担する債務を被告に負担させることこそ、まさに正義に合致するものといわざるをえない。(訴外会社は、法律上の解散手続こそとられていないものの、事実上倒産し、何ら資力がなく、また営業行為を行なっていない。)

4 よって、原告は、被告に対し、準消費貸借に基づく三二五万円およびこれに対する昭和四二年三月二六日以降支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金と昭和四三年三月分から五月分までの賃金、住宅手当合計七五万円およびこれに対する昭和四三年六月一日以降支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。」と述べたが、昭和四五年七月一六日の本件口頭弁論期日において

b「1 原告の準消費貸借契約に基づく主張を撤回し、右準消費貸借契約の既存債権三二五万円を含め四〇〇万円を賃金、住宅手当として請求する。2 遅延損害金は元本金額につき昭和四三年六月一日から請求する。」と述べた。

(二)  第二次的請求原因―昭和四四年一一月二六日の本件口頭弁論期日において追加された。

訴外会社は昭和四一年七月三一日原告との間に雇傭契約を締結し、原告に対し「賃金月二〇万円、住宅手当月五万円、売上に応じた歩合給を支払う。原告を会社の費用で健康保険に加入せしめる手続を行なう。」ことを約しながら、これらの義務を一切履行せず、賃金も時々生活費程度を渡すのみで、原告に対する未払賃金等が四〇〇万円に達したまま倒産したものである。

被告は、訴外会社の代表取締役として、訴外会社と原告との間の雇傭契約を締結したものであるが、昭和四〇年暮から訴外会社の経営が苦しく手形を落すのに苦慮する状態にあり、右雇傭契約締結時の昭和四一年七月末日には訴外会社の資産状態は相当悪化しており、前記のような条件では原告に対する賃金、住宅手当等の支払いができないことを知っていたにもかかわらず、支払うことができるように偽って前記雇傭契約を締結し、原告をして訴外会社の「シェフ」として働かせ、契約どおりに賃金の支払いが受けられない原告が昭和四一年一一月、昭和四二年二月等、数回にわたって被告に対して訴外会社を退職したい旨を申し出たのに対して、被告は雇傭契約期間中原告が他へ移ることは禁止されており、もし退職するならば損害賠償を請求すると脅かし、法律知識の乏しい原告を無給で働き続かせ、昭和四三年五月末日訴外会社が倒産した結果、未払賃金四〇〇万円相当の損害を蒙らせたものである。

かりに、被告が、原告と雇傭契約を締結した際に、訴外会社が前記条件の賃金を原告に支払うことができると軽信したとしても、訴外会社は昭和四〇年暮から経営が苦しく手形を落すのに苦慮する状態にあったのであるから原告に対し前記条件の賃金等の支払いができないことを容易に知り得たにもかかわらず、取締役としての注意義務を著しく怠ったためにその支払いの可能なことを軽信したものであり、取締役としての任務懈怠につき重大な過失があったものである。

したがって、被告は、商法第二六六条の三に定める責任を免れることができない。

よって、右損害四〇〇万円とこれに対する昭和四三年六月一日以降支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(三)  第三次的請求原因―昭和四四年一一月二六日の本件口頭弁論期日において追加された。

被告は(二)において述べたような行為を訴外会社の代表取締役としてなしたものであるが、被告の右行為は、訴外会社の機関の行為であると同時に他面被告個人の原告に対する不法行為を構成するものであり、被告は原告に対して民法第七〇九条に基づく不法行為責任を負うものである。

よって、原告は、被告に対し、右不法行為によって蒙った損害四〇〇万円とこれに対する昭和四三年六月一日以降支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する被告の答弁

A  昭和四五年八月一三日の本件口頭弁論期日において、

「遅延損害金請求の減縮には同意するが、本件準消費貸借契約に基づく請求を原告主張の既存債権たる賃金・住宅手当の請求に変えることには同意しない。商法第二六六条の三に基づく請求・民法第七〇九条に基づく請求の追加には異議がある。」と述べた。

B(一)  第一次的請求原因について

aについて

1 請求原因1は認める。

2 請求原因2の(1)および(2)のうち訴外会社が昭和四三年五月末日倒産したとの点を除くその余の点は認めるが、昭和四三年五月末日倒産したとの点は否認する。

3 請求原因3のうち、原告をラスクエバスの「シェフ」として雇傭するに際し、被告が雇傭契約条項の一切を決め、原告と雇傭契約を締結したこと、右契約には被告の妻渡部リディアが立会人として立会ったこと、昭和四三年三月二二日原告の未払賃金等三二五万円の債権を目的として公正証書により準消費貸借契約を締結した際にも被告が一切を決定し、その手続を行なったこと、被告の妻渡部リディアが店の売上金を持ち帰ったことがあることは認めるが、その余は争う。

訴外会社は被告ら数人の株主が平等に出資した会社であって、被告個人が全株をもっている会社ではない。店舗を借りたのも、その敷金を支払ったのも訴外会社であり、また会計も専門の経理部長がその事務処理に当ったのである。

原告は、被告が独断で一切を処理していたなどと主張しているが、これは事実に反する。訴外会社の取締役は皆現金を出資しているので出資分のことを心配して殆んど毎日のように相談の上訴外会社の業務方針を定め、かくて決められた業務方針に従って被告が実際の会社業務を処理していたのであるが、このようなことは大抵の株式会社がやっていることである。原告の主張は、「株式会社が代表取締役を選任し、その代表取締役が一切の業務を処理すればその会社は法人格がない。」というのと同じであり、理由がない。

また、原告は、訴外会社は株主総会を開いたことがないから訴外会社には法人格がないと主張しているが、この議論もきわめて皮相の議論である。訴外会社は、株主が全部被告の友人ばかりであってその数も少ないので、株主総会開催の通知を開催期日の二週間前に出して議案を審議するといったような正式の形式をとらなかったというだけであって、実は全株主が自分達の出資分が心配で殆んど二日か三日おき位に集まって会社の運営につき協議していたのが実情であり、そのうちのいくつかを株主総会としていたのである。

さらに、訴外会社には株主総会・取締役会の各議事録・財産目録や貸借対照表などがないという主張は全く事実に反する。原告のような日本語も日本の文字も知らない者からみればそう見えるかも知れないが、訴外会社は右のような文書を作成し税務署に提出している。

さらに、訴外会社の経理が複式簿記によらないで、現金出納帳によってのみ行なわれているという主張も誤りである。経理は全部複式簿記の方法によって行なわれていたのである。もっとも、訴外会社の現存する金銭出納帳は昭和四一年一〇月一日から同年一一月三〇日までの分と昭和四二年九月二四日から昭和四二年一〇月二九日までの分のみである。但し、開店から事実上倒産するまでの全期間の売上のメモをした帳簿は存在する。支出については支払伝票が存在するだけで未整理の状態である。

なお、株式会社が雇傭契約を締結する場合または株式会社が準消費貸借契約を締結する場合は、会社の代表取締役がこれに当たるのは当然であり、したがって被告が訴外会社の代表取締役として右のような契約一切を処理したのは極めて当然であって、このような契約を被告が株式会社の代表取締役として処理したことをもって法人格否認の理由とすることはできない。また、原告はスペイン人であり、言葉が通じない点もあるので、契約の際、スペイン語を話す渡部リディアを立会わせたのである。

また、渡部リディアが売上金を持帰ったことがあるのは、翌朝訴外会社のため銀行に預金するためである。

4 請求原因4は争う。

bについて

争う。

(二)  第二次的請求原因について

被告が訴外会社の代表取締役として原告と昭和四一年七月三一日雇傭契約を締結し、原告に対し、賃金月二〇万円、住居手当月五万円を支払うことを約したことは認めるが、その余は否認する。

原告との雇傭契約の履行について責任を負うべきは訴外会社であって被告個人ではない。

原告は、「被告は訴外会社の経営が思わしくなく、原告に対する給料が支払えなくなるのを知りながら原告と雇傭契約を締結した」旨主張しているが、これは事実に反する。すなわち

訴外会社は、原告と雇傭契約を締結した当時は右契約による賃金を現実に支払っていたのであり、被告ははじめから訴外会社が賃金等を支払えないことを知りながら、原告と雇傭契約を締結したのではない。訴外会社の経営が急に思わしくなくなり、経営困難となったのは、訴外会社の事業の趣旨に全面的に賛同し数百万円の現金出費をして共同経営者となっていた河合ふみ子が女の気紛れから何が気にさわったのか、突然その投資した資金を全部会社から引きあげたため会社の経営資金が涸渇したことによるのである。したがって、被告には故意も過失もなく、被告個人に責任はない。

さらに、原告が数回にわたって被告に対して訴外会社を退職したい旨申出たのに被告が脅迫によって原告を無理に働かせ続けた旨の主張も全く事実に反する。

被告は、本件会社が営業をはじめて間もなく、スペイン料理の売行きがよくないので、他の取締役らと相謀り、スペイン料理をやめて一般の大衆料理をやることに決めた時、被告は原告に対して退職を求めたのであるが、原告は、「もう少し継続すればスペイン料理のよさが一般の人にわかってもらえ、必ず売れるようになるから、もう少し継続させてくれ。賃金は生活ができる程度にくれれば当分はいらないから、是非このまま職にとどまらして貰いたい」と被告らに懇願したので、結果的にずるずる売行きのよくないスペイン料理を継続することになったのである。元来、被告ら取締役は訴外会社の営業をはじめてからしばらくしてスペイン料理の売行きがよくないのでスペイン料理をやめようと考えており、原告を必要としなかったのである。ところが、被告が前記のように原告を解職しようと提案したとき、原告は料理場の大きな庖丁を手にして「そんなことをするならこれで被告の家族に危害を加える」と称して被告を脅かした事実さえある。

さらに、「訴外会社が支払手形の支払いを苦慮するに至ったのは、被告が代表取締役としての注意義務を怠ったためであり、任務懈怠につき重大な過失があった」旨の主張も失当である。すなわち、訴外会社の支払手形が落ちなかったのは、被告が注意義務を怠ったためではない。前記のように協力者であった河合ふみ子が莫大な投資金を訴外会社から引きあげた結果、資金が涸渇したためである。被告は、訴外会社の経営がむづかしくなればなる程、あらゆる方面に気をくばり、難局の切りぬけに当たったのである。被告において注意を怠ったり、任務懈怠などの事実は毛頭なかったのである。

以上のとおりで、被告には職務を行なうにつき、悪意または重大な過失はなく、商法第二六六条の三の責任はない。

(三)  第三次的請求原因

右(二)に述べたところから明らかなように、被告には何ら原告が主張するような故意過失はない。したがって、被告の行為が不法行為を構成するという原告の主張は失当である。

第三証拠関係≪省略≫

理由

(第一次的請求について)

一  準消費貸借契約に基づく請求について

(一)  賃金、住宅手当請求への訴えの変更について

原告は、当初、(イ)昭和四二年二月分から昭和四三年二月分までの原告に対する未払賃金、住宅手当合計三二五万円を既存債権とする準消費貸借に基づく請求と(ロ)昭和四三年三月分から同年五月分までの賃金、住宅手当合計七五万円の請求および(ハ)(イ)の三二五万円に対する昭和四二年三月二六日以降(ロ)の七五万円に対する昭和四三年六月一日以降各支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の請求をしていたところ、被告が本案について答弁をした昭和四四年一一月二六日の本件口頭弁論期日の後である昭和四五年七月一六日の本件口頭弁論期日において「原告の準消費貸借契約に基づく主張を撤回し、右準消費貸借契約の既存債権三二五万円を含め四〇〇万円を賃金、住宅手当として請求する。遅延損害金は元本全額につき昭和四三年六月一日から請求する。」と述べたことは本件訴訟の経過の示すところである。

そうすると、原告は、三二五万円につき、準消費貸借契約に基づく請求(旧訴)の取下げと賃金、住宅手当請求(新訴)の提起を意味するいわゆる訴えの交換的変更を申立てたことになると解すべきであり、旧訴については被告の同意がない限り訴え取下げの効果が生じない。

ところが、被告は昭和四五年八月一三日の本件口頭弁論期日において右訴えの変更に同意しない旨を述べたことは訴訟の経過の示すところである。

したがって、前記準消費貸借契約に基づく請求(旧訴)は、原告の右訴えの変更申立て後も依然として係属しているといわなければならない。

(二)  準消費貸借契約に基づく請求の当否

1 請求の原因a1は当事者間に争いがない。

2 請求の原因a2の(1)も当事者間に争いがない。

3 そうであるとすれば、右準消費貸借契約の効果は、特別事情のない限り、原告と右訴外会社との間に生ずるというべきである。

4 ところが、原告は、右訴外会社の法人格を否認し、右契約履行の責任を被告が負うべき旨主張しているのでその当否について検討する。

(1) 株式会社の法人格を否認すべきことが要請されるのは、法人格が全くの形骸に過ぎない場合、またはそれが法律の適用を回避するために濫用されるような場合であることを要する(最高裁判所第一小法廷昭和四四年二月二七日判決参照)。

(2) そこで、本件の場合についてみるのに、≪証拠省略≫をあわせると、次の事実を認めることができる。

被告は、昭和三八年末、友人の土方史郎、岡本克彦、箭中厳とともにそれぞれ四二五、〇〇〇円あて出資しあって資本金一七〇万円の日本ヴイカンベル・エスパニヤ株式会社すなわち訴外会社を設立した。右会社は、設立当初はスペインからの皮革等の輸入販売を業とする予定であったところ、予期どおりにいかなかったため昭和四一年飲食店を経営することになり、中村広忠が一七〇万円を出資してくれたので資本金を倍額の三四〇万円とし、東京都港区芝西久保明舟町の郵政互助会ビルの地下を賃借し、「ラスクエバス」という名でスペイン料理のレストランを経営するようになった。開店当初は従業員が約二〇名いた。被告は、勤務先のパンアメリカン航空株式会社をやめ、訴外会社の設立当初からその代表取締役として会社の経営に当たった。

しかし、前記箭中、土方等も取締役に就任し、後に前記中村広忠のほか三和銀行から派遣された牧野金弥が専務取締役として取締役陣に加わった。土方は常務取締役ということになっていたが、パンアメリカン航空株式会社に勤務していたので週に二、三回位しか店に顔を見せなかった。報酬として被告と土方が一〇万円支給される建前になっており、被告の妻渡部リディアも後監査役として訴外会社の役員となった。訴外会社の経理事務は、当初専門の係員をおいて処理させていたが、後記のように会社経営が行きづまるとともにそれも困難となったため右渡部リディアが会計係をつとめその日の売上金を被告宅に持ち帰った(もっとも、これは閉店時間が夜おそく、金融機関がしまっているためやむをえずしていたもので、持ち帰った金は翌日店の材料仕入れや取引の決済等にあてられた)。会計帳簿も当初は複式簿記の方法により処理していたが、複式簿記の方法による記帳をなしうる専門の係員がいなくなるとともに現金出納帳による記帳に代わった。

適式の招集通知による取締役会は開かれていないが、被告、箭中、土方はしばしば集まって会社経営につき相談し、その他の取締役とも連絡をとっていた。以上の事実が認められる。

そして、前記のような幼稚な計理方法によっていたけれども、会社財産と被告の個人財産を混同したということを認めるに足りない。

(3) 右事実関係によれば、訴外会社の法人格が全くの形骸に過ぎないとか、またはそれが法律の適用を回避するために濫用されたとか断じ去ることは困難であり、結局訴外会社の法人格を無視し、訴外会社を実質的には被告個人の企業であるとみなすことはできない。

5 そうであるとすれば、原告の被告に対する準消費貸借契約に基づく請求は理由がない。

二  賃金、住宅手当請求について

一の(二)の4において判示したように、本件の場合、訴外会社の法人格を否認し、訴外会社の債権を被告個人の債務とみなしうる場合にはあたらないから、原告主張の債権を被告個人の債務とみなすことは相当でない。

よって、賃金、住宅手当請求も理由がない。

三  遅延損害金請求について

以上のような理由で準消費貸借契約に基づく請求および賃金、住宅請求のいずれも理由がない以上、遅延損害金請求も理由がないことは多言を要しない。

(第二次的請求について)

一  商法第二六六条ノ三に基づく損害賠償請求について

(一)  訴えの追加的変更について

第二次的請求たる商法第二六六条ノ三に基づく損害賠償請求は、第三次的請求たる民法第七〇九条に基づく損害賠償請求とともに、昭和四四年一一月二六日の本件口頭弁論期日において陳述された同年一〇月二七日付原告の準備書面において追加されたものであるが、第一次請求たる準消費貸借契約に基づく請求および賃金・住宅手当請求と追加された第二次的請求たる商法第二六六条ノ三に基づく損害賠償請求は、第一次的請求を理由づける法人格否認の事情を審理するについて問題となる訴外会社と被告との関係が右第二次的請求においても問題となる点で、審理の対象を共通する部分が存在しないではないけれども、後者においては取締役がその職務を行なうにつき悪意または重大な過失があったかどうかが問題であるから、後者は前者の訴訟資料や証拠資料を利用し継続的審理を正当化する程度の前者との関連性に欠けるといわざるをえず、両者はその請求の基礎を異にするといわなければならない。

けれども、被告は右請求の追加に対し直ちに異議を述べることをせず、異議を述べたのは証拠調も進んだ昭和四五年八月一三日の本件第九回口頭弁論期日においてであるから、異議は既に時期を失し責問権喪失後になされたものといわなければならない。

そうであるとすれば、結局右訴えの追加的変更はその効力を生じているとみるのが相当である。

(二)  請求の当否について

≪証拠省略≫をあわせると、訴外会社は、昭和四一年六月ころ東京都港区芝西久保明舟町の郵政互助会ビルを郵政互助会から賃借して、スペイン料理店「ラスクエバス」を営むこととし、同年七月三一日「賃金月二〇万円、住宅手当月五万円、売上に応じた歩合給を支払う。原告を会社の費用で健康保険に加入させる手続を行なう」との約でスペイン人で東京の一流ホテルである東京プリンスホテルの料理人をしていた原告を右料理店のいわゆる「シェフ」として雇入れ、(被告が訴外会社の代表取締役として原告と昭和四一年七月三一日雇傭契約を締結し、原告に対し、賃金月二〇万円、住宅手当月五万円を支払うことを約したことは当事者間に争いがない)同年八月ころから開店したが、前記ビルを賃借するに際して支払った敷金等約六〇〇万円を融資してくれた河合ふみ子と被告との間に意思の喰違い感情の対立が生じたため右融資金の返済を迫られるなどのことから店の運営資金調達に窮し開店早々からいわば火の車で赤字が累積し、開店当時雇入れた二〇名ほどの従業員に対しても開店後二ヵ月を過ぎたころからは支払期日に賃金金額の支払いができず分割払いをせざるをえないような状況であり、そのため従業員が居つかず交代がはげしかったこと、原告もはじめの一ヵ月だけ約定賃金全額を一時に支払われただけで、その後は遅れ遅れに分割支給とされたような状況であったので、訴外会社をやめたいと考えていたが契約期間が三年となっていたのでやめることは許されないと考えそのまま勤務していたこと、訴外会社の経営は、レストラン開店後一年間で約二〇〇〇万円の赤字でその後も赤字を累積していたこと、ところが被告は訴外会社の債権者らから営業を他に譲渡するよう勧告を受けたがこれに応ぜず、何ら会社再建の方途も或いは会社解散等の方途も講ずることなく今日に至っていること、この間レストランの店舗の貸主たる郵政互助会より店舗の明渡訴訟が提起され、明渡判決が昭和四四年六月ころ確定して明渡執行がなされ負債約三〇〇〇万円を残したまま事業閉鎖を余儀なくされ、しかも会社財産としてみるべきものは何も残っていないこと、しかるに被告自身は訴外会社を放置したままフィリッピン航空会社に営業部長として勤務し(但しその時期は早くとも昭和四三年六月以後である)、月約三〇万円の給料をうけ、子供をアメリカに留学させ、妻をもアメリカに住まわせていることが認められる。しかし、他方ことさら不相応な条件で原告を雇傭したという事実を認めるに足りる証拠はなく、また被告が訴外会社の代表取締役として原告を昭和四三年五月まで雇傭しつづけ就労させるべきでなかったと断定するだけの証拠はない。

(三)  以上の事実関係に基づいて考えると、原告が主張するように被告が訴外会社の代表取締役として前認定の条件で原告を雇傭したことないしその後昭和四三年五月まで就労させたことをもって、被告が取締役としてその職務を行なうにつき悪意または重大な過失がある場合にあたると断定することは困難である。けだし、被告が当初から賃金を支払わない意思で原告を雇傭したということを認めるに足りないし、また原告は東京プリンスホテルという一流のホテルのコックをしていたスペイン人であるから、これをスペイン料理店「ラスクエバス」の「シェフ」として前認定のような条件で雇傭したことには格別過失があったとは認められないのである。さらに、原告を欺き脅かして就労させ続けたことを認めるに足りる証拠はなく、しかも会社の業積があがらず経営状態が悪化した以上、被告としては何らか適切な措置をとるべきであったことは後記のとおりであるとしても、右適切な措置がスペイン料理という業務の廃止を前提とすべきものであったかどうか確定できないから、スペイン料理業務の「シェフ」たる原告の雇傭を続け就労させていたことに過失があったとも断定できないのである。

もっとも会社の経営状態が悪化し、赤字が累積しているような状況のもとでは、当然債務の増大をなるべく防止し株主および会社の債権者等の損害を最少限にくいとめるべき適切な措置をとることが取締役に課されている注意義務といってよく、前認定のように何ら会社再建の方途も或いは会社解散等の方途も講ずることなく漫然その職務を行なうようなことは右注意義務を著しく怠った任務懈怠というべきである。

しかしながら、被告の右任務懈怠により任務懈怠がなかった場合と比べて原告がどれだけの損害を蒙ったかを断定するに足りる資料は存在しない。

そうであるとすれば、被告は、道義的責任はとも角として、原告に対して商法第二六六条の三に基づく損害賠償責任を負うとはいえない。

二  遅延損害金請求について

原告の商法第二六六条ノ三に基づく請求が理由がない以上、これに対する遅延損害金請求が理由がないことは多言を要しない。

(第三次的請求について)

一  民法第七〇九条に基づく損害賠償請求について

第三次的請求原因の追加に対する異議が既に時期を失し、責問権喪失後なされたものであることは、第二次的請求原因の追加について述べたと同じである。

そこで検討するに、被告が当初から被告に対して賃金等を支払うことができないことを認識しながら原告を欺きまたは脅かして原告を雇傭し就労させ続けたことを認めるに足りる証拠はない。

また、被告に原告を雇傭し、或は就労させたことにつき過失があったともいえない。

そうであるとすれば、被告は、原告に対し、不法行為責任を負うとはいえない。

二  遅延損害賠償請求について

不法行為に基づく損害賠償請求が理由がない以上、これに対する遅延損害金請求も理由がない。

第四結論

よって、原告の本件第一次的請求ないし第三次的請求はいずれも理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小笠原昭夫)

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